感情の反芻
書くということが“カタルシス”だった。
悩みとか愚痴を言葉に発すると、その時の気持ちがリアルに思い出され、同じ感情をさらに重ねる結果になるので、誰かに聞いてもらうということができない。
書くことは、わたし自身を客観的なところにおける点において、わたしにとっては溜まっていた感情を流せる行為だった。
去年くらいからか。
チョキンとはさみで切ったかのように、きれいにいろいろなしがらみから解き放たれた。
その途端、書くことができなくなった。
わたしにはわからないが「わたしのスタイル」があるらしい。
それは、しがらみにがんじがらめにされた時、それは陽であっても陰であっても、出てくる。
鍵盤を流れるように動く指が奏でるメロディのように、そういう時のわたしは無意識にキーボードを叩いていた。
今は、何をどう書いても“わたしの”文章ではない気がして、何だかしっくりこないまま文章を書く。
考える、考える。
「“いい子”になろうとするから。そんなの書きたいこと書けばいいのよ」
と、言った友達の言葉が思い出される。